われはでくなり つかわれておどるなり。

自分のご飯は作るのに、掃除はするのに、洗濯はするのに、どうして自分にとって大切な事はしないのだろう?

生活していくのに必要な事はするのに、そうでない事はしないでいいと自分で判断してるのか?

 

やらないといけない事は大体やりたくない事、でもやらないといけない・・・。

やらないでいい事はやりたい事、けれどやろうとしない・・・。

イコール、単なる怠け者っちゅー事だ。

 

われは でくなり つかわれて おどるなり。

 

この世のものでない何かによって傀儡人形のように操られて踊らされる、という中川一政さんの書ことば。

自分が作品作りをする際、集中しすぎてわれを忘れ、まるで何かに体を操られてたかのようになる様を言ったのだろう。

 

おじさんにはずっと前から作品になってない、作りかけの物がある。

作り方が分からなくてとか、ただ飽きてとか、あるいはそのもの自体と向き合うことが嫌になってとか、作品としてまとめられないでいて、投げっぱなしになってるのがたくさんある。

そんなおじさんに響いた言葉。

 

われは でくなり つかわれて おどるなり。

 

己自身を忘れるほど、誰かに操られた感覚になるほど、自分の作品と向きあい没頭したいものである。

 

その前に作りかけの癖をやめることとし、完成させることを目標にすること。

             絵はこんなだったような・・・。