「いらっしゃいませ、ポイントカードはありますか?」
「あ、ないです。」
「失礼いたしましたー。」
有人レジでの光景。
ほとんどのお店がセルフレジになりつつある昨今、微笑ましいやり取りではないか。
しかし私は思った。
自分自身もスーパーで買い物の会計時に毎回このやり取りをするのだが、
・・・あれ、なんとかならないだろうか?と。
というのも、大体同じ時間に行くからレジ打ちの人も同じ人がいるわけで。
それが常連になり、さらにそのレジが混雑してくると、
店員「いらっしゃいませ、ポイントカードはありますか?」
私「ないです。」
店員「・・・・・・・。」
店員は無言でレジを進めていく。
「!!」
おぅううおおおいい!!
ちょ~~っとぅ、まてええぃ!
今、ちょぉぉ~っとぉ、傷ついたぞぉぉううう!!!
・・・って、感じになる。
いくら常連でも「ないです」と答えたことに対して返答がないのはなんだか悲しい・・。
映画「火垂るの墓」を見た時ほどではないが、なんだか悲しい・・。
弁当のふたを開けたら、日の丸弁当だったら絶対に悲しい・・。
忙しいのも分かるし、同じやり取りに店員が辟易してるのも分かるが、
それでいいのか?
それでええんか?
そこに愛はあるんか?っちゅー事ですよ。
そこで提案なのだが、ポイントカードありますか?と聞くのではなく、なにかポーズを決めておいてそれをやりあおうじゃないか。
例えば警察で言えば敬礼。
店員がまずカードがあるかという意味の敬礼をする。
客はカードがなければ敬礼を返す。カードがあれば差し出す。
あるいは顔が見えるから不愛想にされたり、無視されたりすると傷つくのだから、店員はフルフェイスのヘルメットを被ってレジに立つ。とか。
または16世紀に流行った仮面舞踏会で使うアイマスクをして貴族風に接客する。
どうや?
って、「それならファブ置けぇえい!」的なことで、カード作れぇぇい!って話。
そもがこと、ポイントカード云々より自分が店員に対して愛を求めてるんじゃないのか・・?
求めること自体が間違ってるんだ。
店の店なんて不愛想でどうしようもないあきれた人なんだと思えばいいんだ。
しかしやはりそれではなんだか悲しい。
人から愛が無くなったら何になるというのだ。
それならば私は愛そう。
「いらっしゃいませ、ポイントカードはありますか?」の後に、相手が無言だったならばこの言葉を贈ろうじゃないか。
「マダーム。アモーレ、アモーレ、コントレビ・ア~ノ・デ・ビアンコ。」
おお、マダーム・・。氷槍が心に突き刺さるようなスンバラシイその冷たい接客。
その冷たさをも、私は私の愛熱をもって包もう。
「アモーレ、アモーレ、コントレビ・ア~ノ・デ・ビアンコ」
人間、求めだしたらアカン。