男は思った。ダラダラしたいと・・。
雪の降る寒い日にどこにも出かけず、満足するまで大好きな森永のガトーショコラを好きなだけ食べて、暖かい部屋でゴロゴロしていたいと・・。
好きなことだけやっていたい・・と。
やろうと思えばできない事はない。
ただそれをやってしまうと、はまってしまって出てこれなくなる沼のような状態になりそうという事、そしてやった後の罪悪感、そこの世界から再び戻ってこれるかの心配・・・、これらの事を考えて男はそれが出来ないでいるのだ。
なぜこんな事を思ってしまうのだろう?
これはすべて欲望から来るものなのだろうか?
こういう欲望を持つことは、過去に男がそういう経験をしてしまったからなのだろう。
例えば男はフォアグラというものを食した経験がない。
食べてみたいという欲求はあるが、食べられないならさして食べなくてもいいと思う事もできる。
これはフォアグラという物の美味しさを知らない、食した経験がないからこそ、そう思う事が出来ると私は考える。
ダラダラしたという経験さえなければこんな欲望は浮かばないはずだ。
しかし経験してしまったことを消す、なんてことが可能だろうか?
どこぞのお偉い誰かが言っていたように、自分の経験をデータ化できたりすることが可能になれば、不必要な経験も消せるのではないか?
それが可能になれば、ダラダラしようなんて考えなんかなくなるのに・・・、と男は思った。
欲望があるからこそ前に進める事だってある。
欲しいものを買うために頑張る、旅行に行くために今を頑張る。
じゃあいっその事、ダラダラしてから進めばいいじゃないか?
ダラダラすることがそんなにいけない事なのか?
ダラダラしたい・・だなんて普段はダラダラしてないみたいだが・・。
ガトーショコラは食べないけど、ダラダラは絶対どこかでしてはいると思うわけで・・。
しかしただ単にダラダラしたいだけなのか、ガトーショコラが食べたいだけなのか?
その両方を味わって乾いた生活を潤わせたいのか?
写真や記憶は遡って想いに浸れる。
それならば、ダラダラしてガトーショコラを食べた過去の自分の記憶に会いに行く、というのはどうだろう?
要するに記憶の答え合わせだ。
あの時抱いた感情は間違いではなかったのか?合ってたのか?
そして男は決心をする。
よし、ちゃんとダラダラしよう!もちろん、ガトーショコラを食べながら・・・。
♪ら~ら~ら~♪ガトーショコラ・・・ガト~ショコラ~・・・