Are you デジタル配信でOK?

ソニーという企業が手掛けて開発した「PとするものがSに向かう、それは1~5あり今現在は5である。」

・・というゲーム機を知り合いが買ったという事を聞いた。

なんでも価格が10万近くするらしいが、セールか何かで7万いくらかになってたらしい。

 

しかしいくら7万でもそう買えるものではない。

その出処を聞くと、会社から支給された夏の「棒とナス」から賄ったらしい。

                                                                      

私は長期休業をしていたため、「棒」しか頂けなかった・・。

はて、私はこの「棒」で何をいたそうか?

 

ま、それがしかは致し方のない事ですね。

皆々様は楽しい事で何よりです。

 

上記の事はゲームと共に生きてきた私にとっては至極羨ましい話です。

いや、共に生きて来たとは言ったものの20年位前にすでに足を洗ったんですがね・・。

 

それでもゲームをやってた人なら分かると思いますが、あれは中毒性があって20年も時が経過したのに、今でもやりたくなる衝動に駆られるんですよ。

麻薬中毒者ってやつですね。(勿論、麻薬は経験ないですよ☻今の所。)

 

なので仕方なしで、「あなたと繋がってます」・・という動画投稿サイトで、素人玄人がゲームの実況動画、中継などを投稿してるのを見てゲームをやってるような疑似体験をして欺満足をしているのでございます。

 

そんなゲームもなにやらソフト自体を作るのをやめて、来年からすべて配信サービスのみになるとの事らしい。

 

・・・そんな事でいいのか!

20年もたったけれど、せっかく私もいつかは「PとするものがSに向かう、それは1~10あったらしいが今ではPSとなった」、というゲーム機が発売されたくらいには購入しようと夢見てたのに・・。

配信のみにされたらもうできないじゃないか!

インターネットサービスを契約してない人は出来ないじゃあないか!

何でもかんでも配信にするんじゃない!

 

CDも配信、レンタル映画も配信、おかげで我が田舎街にはどちらの店も無くなってしまったじゃないか、あるのは八百屋だけですよってね。

 

お金すら配信的なものになってきてるから、先日食べ物屋で現金で支払おうとしたら、店員に「えっ?」って顔をされた。

立て続けに「現金なんかで払うんですか?現金なんて物をもってるんですね?ま~あ、珍しい!」っていう心の声までもが聞き取れた。

 

 

 

「持ってますけどなにか??」

 

 

そうですか、デジタル化ってそんなにいい事なんですね。

それじゃあ、そんな世の中になってきてるのなら古文書とかもいっそデジタル保存して後は全部燃やして処分してしまえばいいじゃないかしら?

現物で保存しておく意味なんてあるのかしら?

 

歴史的なものが古すぎて倒壊したり、火災で焼けたりした歴史的建造物を再建築したりするけど、それって再建築した時点でもう価値がないんじゃないの?

一体何をやってるのと思ってしまう。

 

必要としているものは残ってはいるが形を変え半分がそぎ落とされ、そうでないものは極端に大事にする、不可思議な世の中になりましたな。

 

さあ、私は頂いた「棒」で何をいたそうか?

 

「私というものが「死」へと向かう、それは古いままでいる型と新しい形に変化した型とあるが、今現在はおそらくたぶん中間より下の方だ。」

                                                                                                                                                                                                                                  

現金の何が悪い!

「おぉ~い、原始人がきたぞぉぉ!」

 

「店長!原始人が来ました!!」

 

「来たか!よし、みんな打ち合わせ通りに頼む!」

 

「了解!!」

 

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

───数日前────

 

「はい、今日はですね、原始人が来た時の対処法について話し合いたいと思います。」

 

「近年、どこのお店も基本的にスマホ決済、電子マネーが主流になってるが、彼らはそれらを持たず、持っていたとしても使いかたが分からないため、何が何でも現金決済で済まそうとしてくる」

 

「もし彼らが注文、声などをかけてこようものならまずこう言っておく」

 

「少々おまちくださぁぁ~い」

 

「これで放っておけば大概の原始人は追い払えると思いますので・・」

                                                                      

────────────────────────────────────────

────────────────────────────────────────

────────────────────────────────────────

 

8月×日、私は久しぶりに最寄りのマクドナルドに赴いた。

勝手知ったる店内に入ると、?何かがおかしい、前回来た時と少し違う気が・・。

 

そういえば一か月くらい前、店舗を改装するとかしたとか言ってたな、このことだったのか。

そんな事はさして関係ないとカウンターへ注文をしに行く。

 

??これまたおかしい・・

注文カウンターはあるのに注文を受ける人がいないではないか。

カウンターの後ろは仕切りが無く広々とした厨房があり、そこでは7~8人くらいいてポテトを揚げたり、ドライブスルーの注文を受けたり、品物を用意したりする人たちがあわただしく働いていた。

 

これは一体どうすればいいんだ?私は思った。

カウンターからその人たちに声をかけてみた。

「すみませーん、ちゅうもんを・・」

 

店員、こちらを軽く振り返り、人形の様な無表情で、

「少々おまちくださぁぁ~い!」

何事も無かったかのように作業を再開する。

 

・・いや、待とう。別にそんな急いでないし・・。

 

5分経過。

後から客がやって来る。カウンター前で待つ。

すると作業中の店員がすぐにやってきて、

「ご注文ありがとうございます、番号が○○になるのでお待ちください」、と番号札をその客に渡す。

 

なんだと?後からやって来たのにいつ注文をしたんだ?どうやって受けてもらえたんだ?

訳が分からないまま呆然と待つ私。

 

およそ一分後。

「番号○○の方、お待たせいたしました、ありがとうございました。」

後から来た客は一言も発さず金も払わず、無言のまま無表情のまま、品物を受け取り去っていった。

 

なんだあれは?

これでは水戸黄門の歌にある♪あ~とから来~たのに、追い越され~・・じゃないか!

 

少し腹が立ってきた。

 

さらに数分待つ。

そこへ二階から降りてきた店員に注文をしたいと声を再びかける。

(この店舗は一階と二階に店内で食べる場所がある)

店員「少々おまちくださぁぁ~い」

 

それはもうええっちゅうねん!少々じゃないほど待っとるっちゅうねん!

何時になったら注文が出来るっちゅうねん!

 

次から次へと客が来て同じように注文が成立し、品物を受け取り去っていく。

これは一体どないしたことやっちゅうねん、何でワシだけ注文を聞いてくれへんねや!

 

・・若干怒り沸点が沸騰し始めた私は、ふと入り口付近に目を向けるとローソンやファミマに置いてあるマルチコピー機のような機械が4台設置してあるのに気が付いた。

 

あれはなんだ?

あんなの前回来たときはなかったぞ。

 

まさか、あれで注文をしろって事なのか?

・・と、新客が再び現れ、当たり前のようにその機械で注文を入力し始める。

その機械で注文をすまし、当たり前のようにスマホをその機械にかざして決済を済ませ、カウンターへ向かい無言で数秒待って品物を受け取り去っていく。

私より後から来たのに・・。

 

 

「助さん、角さん。もういいでしょう!」

黄門様の言葉が頭に響く。

 

私は機械の前に立った。

しかし果たして本当にこれで注文をしていいのか確信が持てない・・。

そこでまたカウンターに行き店員に聞いた方が良いのではと思い、少し離れた厨房にいる人に声をかけてみる。

 

帰って来た言葉は、

「少々おまちくださぁぁ~い」

 

・・・・・・。

もういい、やるしかない・・。

 

意を決して機械での注文を試みる。

四苦八苦の末、画面の入力は何とかやった。

けれどこれで注文が通ったかどうかが分からない。

機械下にある受け口にトイレットペーパーの切れ端の様な紙が少しだけのぞいている。

何だこれはと引っ張ってみると、控えめない薄ーい印字の番号が印刷してある。

ああ、これで注文がとおったのね、じゃあ後はカウンターで待つとしよう。

 

カウンター前で再び待つ。

待つ、待つ、じっと待つ・・。

全然呼ばれもしない・・。なんで?

 

 

待ち受け掲示板があるのに気が付く。

自分の番号が全是表示されてない。これは注文が通ってないのではないのか?

返ってくる言葉は分ってるけど、それでも聞いてみる。

 

やっぱり

「少々おまちくださぁぁ~い」

 

・・・それしか言えないのか!

マクドナルドじゃなくて、マテドナルドに名前変えたらええわ!

 

後からやって来る客の注文はどんどん掲示板に表示され、全員品物を受け取り去っていく。

 

こうなったらと、店員が客に品物を渡してる間にわたしは喰い気味な感じで

「注文したんだけどこれで通ってますか?」と控えめな感じで薄く印字されたの注文レシート?を見せた。

 

店員はそれを見て「ダジョブデツヨ、注モンデキテルヨ。千、ヨンヒャク、八ジュ円デツネ」

、と外国人の女性がやっとそう答えてくれた。

 

セルフオーダー・・ラクっちゃラクだけどよぉ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それで待ち受け掲示板にようやく私の番号が表示された。

 

私はそれで思った。

私の番号が掲示板に表示されなかったのは、私が現金払いだからなんじゃないのか、と。

そうじゃない人は機械で注文してその機械でスマホ、電子決済を済ませてしまう。

要は決済が済まないと注文が掲示板に反映されないという事だ。

 

現金払いの私はいくら機械で注文をしようが、結局カウンターで人間を介さないと注文が通らない・・。

これでは意味がない・・。

分からない人は私のようにずっと待つ羽目になる。

こんな事なら、最初からカウンターにセルフレジを置いておいて、セブンイレブンみたいに自分で現金決済した方が良いのでは?と思ってしまった。

 

という事で原始人、現代で原始時代より不便をこうむる、でした。

 

 

 

気が付けば・・。

あっち~なぁ、おい。

 

 

 

 

 

 梅雨が上がったって?わたしゃ知らなかったよ!

 

 

 

・・って、8月になってるじゃあねぇか!そりゃこの花も終わるはずだぁね。

 

 

 

 

 

7月に咲いたカサブランカ

 

7月に咲いたから日記にしようと思ってたらこのざまですよ。ホントにいいかげん野郎だぁね。 

 

 

7月から職場復帰したが思ったように腕が動かずイライラ・・

暑さも加わりさらにイライラ・・。

そんな中、お昼ご飯に弁当を注文した職場の同僚先輩。

 

その人はカツ丼を注文したつもりだったらしいが、注文を間違えてとんかつを頼んでたようでカツ丼が来るのを楽しみにしてたのに、とんかつが来たもんだからちょっとショックを受けておられた。

 

そりゃあそうですよね、お察しします・・。

 

そこで私はその先輩に「よっ!とんかつ大臣!」と鼓舞したが、先輩はだいぶんカツ丼にこだわってたようだ。

私からすれば、とんかつもカツ丼もどちらも最初に「揚げる」という工程をふんでるし、そこからそのまま出すか、煮るかという違いだけなので似たようなものだと思うが、やっぱり違うらしい。

 

あくる日、「とんかつ大臣」は再びカツ丼を注文していた。

こだわりの強い人だ。

前の日に間違っていたとはいえ、とんかつを食べて次の日もほぼとんかつのようなものを食べるわけだから、私が任命したこの呼び名もそう間違ってはいなかったようだ。

 

違うと言えば、この前カレーを2~3日分くらい作って、最後に一皿分だけ残して冷蔵庫に保管しておいた。

そのまま食べる予定だったが、別の日にお店でイカを買い、何も考えずただ軽く炒めてその残しておいたカレーに混ぜて食べた。

 

!!

違うね!なんだろう?すごくおいしかった!

イカカレー、なんてのがあるらしいが、たしかにうまい!

イカカレーが存在する理由が分かった瞬間でした。

やれる人はやった方が良い。

 

ま、ネタがないからこんなところかしら?

 

あれは海賊?家族?遠足?いや、満足だ。

満足するって知ってるか?

ああしたいこうしたい、その日のやりたい事、欲望、それらが成し遂げられた時、人は満足という言葉で締めくくられる。

 

自分は日ごろ満足してるのか、と言われればほぼないと言える。

満足できなかったとき、それはストレスになるのか?

満足できない事を抱えたまま生きて行くことはストレスなのか?

それらは満足というところまで達しないと解消することはないのだろうか?

満足まで達せなかったとしても、満足するように自分がそこまで行動できた、挑戦したという道のりを辿ったという結果で満足を締めくくれないのだろうか?

 

人は欲望の塊だ。

その欲望を無くさない限り、満足することはやはり難しいもしれない。

しかしそこに気がつけただけでも、満足という存在に対してもう少し緩やかに対応することが出来るようになったかもしれない。

 

そんな満足してない中で満足できたという時もあった。

その時私は蘇ったような心持をした。

満足することはこんな大事な事だったのかと思えるほどだった。

それはほんの些細な、例えば予定していたことが出来た、朝早く起きて掃除をする、先々の準備をする、雑事がすべて終わり、少し贅沢な食事をし、その後ゆっくりする、そんなような事だったと思う。

 

満足すると人は満たされる。

しかしいつも満が一杯で満たされていては気持に変化がなくなって、喜びなどの感情が失われるのではないだろうか?

満足できない事を抱えて生きているからこそ不足分が補われた時、満足という言葉でやはり締めくくられる。

したがって、不満足あっての満足という事なのではないだろうか。

 

私はそう思ったね。

 

♪まんまん  まんぞく~♪

♪いっぽん  まんぞく~♪              

                                                                                                                                                      

報道と反応

巨人の阿部監督が辞任した事で世間が署名運動をしてるが、あれってどうなんだろう?

本人がけじめとして会見をしてやった事なのに、署名運動で復活したら会見をした意味がないと思う。

あの問題は本人の辞任の意思をすぐに受理した球団側にあるんじゃないのか?

暴力という事でさっさと切ってしまう球団側にあるんじゃないのか?

状況を把握してから判断しても良かったのではないのか?

 

AIがどうたらと言ってる人がいるけど、AIは関係あるのか?

いくらAIがそうしろと言ったとしても、AIが通報したわけじゃなく、判断して警察に通報したのは結局娘本人なんだから。

あと、すぐに逮捕してしまう警察もおかしい。

 

それにしても、知名度があるだけに日頃無関心な私もこの報道に反応するくらいだから、世間は大騒ぎだ。

自分も含め、報道に踊らされてるなと思った。

 

教育も含め難しい時代だ。

        

世代別でみる音楽番組。

最近なのかここ数年前からなのかもはや分からないが、昔はやった曲、音楽を流すテレビ番組を見るとなんだかいや~な気持ちになる。

 

なぜだろう・・?

自分が年を取り過ぎたことを実感するからなのか?

あの頃はこうだったなどと振り返るのも嫌になってるからなのか?

普通はこの曲いい曲だよね、この頃はこうだったな懐かしいね・・となるが、もうそれすらない。

 

また昔の曲を流してるのか、いい加減にしろ何度も何度も・・となるのが正直な所。

じじばば症候群の始まりである。

 

けれどこういう番組って大体、昔の曲を聞いたり映像を流したりして視聴者がその時代の感傷に浸る、思い出を振り返るというところに焦点を置いてる番組しかない。

それもいいとは思うが、そうたびたび思い出に浸されてはこっちが参ってしまう・・。

今現在が楽しくなくてダメみたいな感覚になってしまう。

実際そうなのだけど、同じ事ばっかりやってるから嫌気がさしてしまう。

 

毎回それをするのではなくたまには音楽の良さを重きに置いた方向の番組をやっても良いような気がする。

例えば世界民族音楽トップ100みたいな番組をたまにはやってもいいんじゃないか。

 

 

「第8位、モンゴル帝国ホーミー!」

www.youtube.com



 

「第3位スペイン国、情熱!」

https://www.youtube.com/watch?v=UiorEeBqsQQ

https://i.ytimg.com/vi/UiorEeBqsQQ/hqdefault.jpg?sqp=-oaymwFBCNACELwBSFryq4qpAzMIARUAAIhCGAHYAQHiAQoIGBACGAY4AUAB8AEB-AHUBoAC4AOKAgwIABABGH8gFCgUMA8=&rs=AOn4CLA4UfNOexARHrxMTp-0AAi_O_u3Qw

    「ドゥダ、ドゥダ、アィ~イヤァ~」

 

 

 

 

 

みたいな感じで・・。

 

ま、今を楽しく健やかに生きてる皆さんにはじじばばがまた歌を歌ってらぁ、てな感じで聞き流してもらいたい。

 所詮はじじばば症候群の戯言ですから。                                                                                                 

釈放。

運命の裁判官の判決から去る四月の初め、私はこのほど留置院から釈放され退院した。

退院しても一人なためすべて一人でやってゆかなくてはならない。

片腕不自由なため、思うように生活が出来ずイライラする日々し

二週に一度の定期診察、週一回のリハビリ、それ以外することがない、というかできない・・。

 

退院したから一人になったわけではなくずっと一人なのだが、仕事に行ってないためより一人を実感することになったしまったわけで、自分と向き合わざるを得くなってしまった。

結局私には何もない事が分かり、私はちっぽけな人間という事を自覚した。

 

そして人間することが無くなると身の回りの整理がしたくなるのだろうか?

私は思い立って終活をすることにした。

 

昔大事だった物、何時か誰かとのためにとっておいたもの、昔心に響いた音楽、思い出品の数々・・。

 

本棚を見る。

一般の人にとっては内容がとても柔らかい本が何冊か並んでいる。

社会契約論、創造的進化、人間の条件・・その他諸々・・。

私には難しすぎた・・。

なんであんなに頑張って難しい本を読もうとしてたのだろう?

結局意味がない、何者にもなれてない、血にも肉にもなってない。

死に際の今となってはすべて無駄なものになってしまった。

残念だよ、君。

 

全部捨ててやった。ありがとう。

 

昔親しかった人たちは今どうしてるのだろう、おそらく幸せに暮らしてる事だろう。

良かった良かった、めでたしめでたしだ。愛でる人とお幸せに!

そんなことを思ってみたところで何になる。

そんな事よりリハビリだ。

リハビリ・・

良くなってるのか治るのだろうかと不安になるリハビリ。

 

 

医者が処方した痛み止めを説明されなかったからただの痛み止めだと思った私は、処方された痛み止めを勿体ないということと、我慢できなくなった時に飲もうと思い飲まずにとっておいた。

定期診察で飲んでませんと告げると、医者は激高し、飲んだうえで痛みの出る箇所のリハビリをしてくれとの意味だったらしい・・

最初に言ってくれ・・。

 

医者からお叱りを受けた私は、悔しさのためリハビリを通常の二倍した。

そのためか腕は腫れ上がり、定期診察でやりすぎですと、またお叱りを受ける。

 

一体何をやってるんだと思い、空を見れば素晴らしいお天気。

狭くなった心を広くして、引き続きリハビリを頑張り、道を歩かねばと思った。

終活までしたんだから!